[2009年12月5日(土)]
善光寺徳行坊の若麻績敬史です。
本日のチベット・デモに参加出来なくなりまして、本当に申し訳ありません。
ダライ・ラマ法王さまがお話されますこととは別のお話を申し上げます。
善きこととか正しいことには、私たちはきっちりと執着すべきです。
活路を見い出すことには、果てはありません。
「光は暗闇にて輝く」のです。
極めて個人的なことですが、私には16歳も年下の恩人とも云えます敬愛する友人がおります。
その者は、例え1%でも可能性が見えれば、前に向かって進む人物です。
しかし、その人物は家族関係が原因で自分の人生が自分自身の人生にならなくなりました。
前に向かって進み続けることが出来なくなりました。
今は、この私がその者の分も含めて、前に向かって山を登っております。
二人分の人生を背負って山を登ります。
あきらめることが有り得ない人生の山登りです。
そして、登るべき山は、はっきりとわかりました。
山の頂きも、私にははっきりと見えます。
しかし、これからは私には未体験の3000m級の高さです。
幸いにも、私は経験豊富なシェルパたちと出会うことが出来ました。
これからは、彼らと一緒に登っていきます。
山の頂きには、私たちの生命の幸せを願っておられます神さまと仏さまがいらっしゃいます。
今や見えずらくなった頂きを見えやすくして、登りずらくなった道を登りやすくして、これからみんながちゃんと登れるように整えることが私たちの使命だと思っております。
そんな私が更にわかりましたことは、今日ここにお見えの皆さまともその道筋で出会いましたということです。
お互いにしっかりと努力していくことを確認し合い覚悟を固めましょう。
私たちの努力の果てに、様々な人たちの幸せがあります。
そして、かのジャンヌ・ダルクが、決して剣を取らずに常に旗を揚げましたように、私たちも決して剣を取らずに闘い抜く覚悟が必要になります。。。
チベットを巡る様々に困難な状況は、いよいよ予断を許しません。
世界中の人々の困難な人生に更に輪を懸けての困難さが、世界中に散らばります多くのチベット人たちの心にのしかかっております。
私たちは、彼らの心を励まさなければなりません。
そして、私たちは私たち自身の心をも励まさなければなりません。
祈ることです。
この世とあの世にいらっしゃいます神さまと仏さま、様々な聖霊を心に念じ、唇を噛み締め心を引き締めて祈ることです。
祈りにこそ国境はありません。
祈りにこそ人種や宗教の違いはありません。
そして、そうした祈りの果てに、心からの連帯が生じます。
本日ここにお見えの皆さま方にお願い申し上げます。
今、この場にて空をまっすぐ見上げてください。
もしも、新宿の空が長野と同様に曇っていても、真上の空の果てには神さまと仏さまがいらっしゃいます。
尊い闘いの末に、大切な命を奪われました方々もおられます。
今度は、空を見上げながら空の四方を眺めてください。
空の果てに、様々な土地があり様々な人たちがおられます。
喜びも悲しみも悩みも苦しみも、私たちと同様に味わい、心の中にちゃんとしまっておられます何十億人もの人たちが
おられます。
その人たちのお名前もお顔も知らなくても、喜びも悲しみも悩みも苦しみも持ち合う者同士であります一点を通して
私たちは同志であり同胞になりえます。
更に申し上げますれば、善き心とか正しき心を持ち合う者同士の一点を通しての同志であり同胞であります。
世界中は、悪しき心よりも善き心、正しき心、清き心で満ちております。
それこそが、この世の真実であり、この世がこの世たる由縁です。
本日ここにお見えの皆さま方は、これからのデモに際しましては、沿道の人たちに向かってではなく、
この大空の果ての世界中の善き心、正しき心、清き心、美しき心の人たちに伝えるために「フリー・チベット」の
誓いの心を大声でお伝えください。
皆さまの善き心、正しき心、清き心、美しき心は、世界中にこそ必ず伝わります。
そうした心こそが、この世の共通の心であり、この世とあの世を繋ぐ心であり、神さま仏さまと私たちを
繋ぐ心ですから。
本日ここにお見えの皆さま方のご尽力を、長野の善光寺からお祈り申し上げます。
2010年5月12日水曜日
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